日々

思い立って旅の記録をつけることにした 思い出せる範囲で遡って数個記録を書いた いちいち表示される広告はどうしたものか 写真でも貼らぬと広告に負けてしまう しかし写真を貼るのはどうにも恥ずかしい 英語の読解が驚くほどできなくなっている 何かしらで…

時節のカードを急ぎで速達で送った 何故か、レバノン人の恋路も助けた

二子玉川は心からは好きにはなれないが 田園都市線から見る多摩川と空は好きだ 予約をとり入った鶏屋のカウンター席では 複数の二人連れが好きなように話す光景 我らも無責任に好きなように話していた夜

「病とともに生きる」ようになると、病が日常になるわけで。あるいは、病が一つのアイデンティティになるわけで。病を持つ人の日常・アイデンティティと常にある程度向き合い続ける必要がある日々の中で。「全人的な」云々は理想論であることは否めず、わた…

渋谷VIRONのオリーブ入りパンが秀逸過ぎて 代々木公園に平和かつシュールな時が流れ 嗚呼生きるのは本当に満更でもない、と思う

恥ずかしげの無さに、羨望と尊敬と愛着を捧ぐ

駅とはまことに趣深い場所である

声を失おうとも言葉を失おうとも、人は生きる。そもそも生物は言葉は持たずとも生きてきたし、発する言葉がなくとも人は考えることはできる。ただ、言葉がないとそれを傍らの人に伝えることができない。思いを綴り伝えることで生きてきた人は、その術を失い…

わたしは祈ることはしない。ただ、願うことはする。祈ることは自らでの解決という荷を少し軽くする。荷が軽くなることで歩みが軽くなることもあるだろう。しかし願わねば叶わなず、解決は得られない。だからわたしは願う。願い、そして考えねばならぬ。

「人を助けたい」 / 「人の弱みにつけこむ」 危ういことに、構造が酷似している! そうであるが故に愛憎劇は生まれ、幸と不幸はすぐに裏返る。 どんでん返し!

大学図書館は入館はできるが、借りられない 冷静に考えれば、そりゃそうですね、フフフ腐

時に、我々の職種はなぜバーンアウトするのか。思うにそれは「他者のために何かをする」というエゴイスティックな発想が根本にあるがゆえだ。(しかも「患者という弱者のために」というある種の優越性確保を欲してのことであるのも、留意すべき点なのではな…

「聴かないの?」 と 「訊かないの?」 と 「効かないの?」を間違えた。 音楽の話題を少々交えつつ仕事をしていたら。日本語は誠に、難しい。

自分の中の泥と沼を知っていることは、幸か不幸かわからない。知らずともよかった泥ではあるが、それは紛れも無く自分の中にある。それを知ることを成長と呼ぶのか否か。覗き込んだ淵は、ずっと近くにあるが、そのおかげでわたしはわたしを保てていることは…

正しいと思ってやることが多分正しいのだと思う。それぐらいの良識は自分にあると信じたい。例えそれで胃を痛くすることがあっても、それを恐れないでやるべきなのだ。そう思わせることがあった、それは些細な出来事なのだが。良識を失った自分をかつて見た…

渋谷はいつもの珈琲屋へ。壮年の客が多いその店は、どうやら昔から愛されているらしい。机がわたしにはやや低過ぎることだけが少々難だが、わたしは概ねその店に満足している。音楽のボリュームや壁の絵など。珈琲の味も、わたしは好きだ。

「困っている人を助けたい」という感情の構造のことを思うと、うすらおそろしい気持ちになる。その構造を不健全と捉えてしまったら、一体何を健全と捉えればいいのかわからなくなるが、それでも、わたしはその構造のことを思うと、うすらおそろしい気持ちに…

ところで、わたしはDVDプレイヤーを持って久しいのだが、まだ一度もDVDを再生したことがない。配線すらつないでいない。今この文章を打っているPCでもどうやらDVDを再生できるのだが、それでも一度もDVDを再生したことがない。「我ながらこれは怠惰だ!」と…

夢も展望もなかった 夢を持つことは大事だと思う

自分で限界を設定するより、限界を知っていきたい 自分で設定した限界は単なる "線引き" に過ぎない

考えてやったことを患者に喜んでもらえたのだが、それが本当によかったのかが皆目よくわからない。安直な 「やさしさ」 でやったことは無いつもりだし。治療や病態も経過もリハビリについても勉強した。医者やPTにきける話はきいて必要な情報を集めた。も…

駒場に行くといつも 「わたしの暗黒時代」 を思い出し 身震いせずにはいられぬ おそるべき記憶が彷彿と! わたしの今までの人生で一番勉強しなかった時代だ 机の上のことを放り出し、その他のことを色々と知った 大事な時代だった そして、もう二度と戻りた…

駒場で某S氏のモルモットになる 楽しんだ! サイエンスはやはり人をワクワクさせうるもの

できるだけ客観的でいたいし できるだけ物静かでいたいが どうも田舎育ちの俗物根性で 思うようにはなかなかならず かなしいなと思う秋の夜です

凹んだと思ったら、もう元気 うるわしいご機嫌だ

かなしいねー つうかわたしが バカなんだ… ひとの言葉を鵜呑みに信じやすい自分に疲れる 自分の中の泥みたいなものにまた気づいて唖然 その"泥"が"欲望"なんだということは承知済みさ

名前を覚えられる → 親しみ+責任+円滑さ ずっと話してみたかった御仁と話せて嬉しい日だ

わたしは自分のことが一番わからなくて ひどく冷たいのか思いのほかやさしいのか 全然わからなくて時々とてもとまどうんだ 「やさしい人」というものを見慣れないままだ それはとても不幸なことなんだと心得ている

イルミネーションを街路樹に飾り付ける光景に鉢合わせ そういう季節に移り行く瞬間を目にすることが好きだ… 作業着をきたおじさんたちが木々にきれいな光をつける そういうものを好きでいられることを、ありがたく思おう

熱すぎる熱狂や偏りすぎている偏愛を目の前にすると疑心暗鬼になる そこには盲信や排他が潜んでいることが往々にしてある気がするんだ