時に、我々の職種はなぜバーンアウトするのか。思うにそれは「他者のために何かをする」というエゴイスティックな発想が根本にあるがゆえだ。(しかも「患者という弱者のために」というある種の優越性確保を欲してのことであるのも、留意すべき点なのではないか。「弱者にむけるまなざし」は一見善意であってもその実は暴力的であることが多い。「○○してあげた」という物言いになることがその表れだ。)エゴでは人は動かされ難いことがしばしばであり、そのことを踏まえているか否か、安直なエゴを無意識に押し付けていることを自覚しているか否か。熟練した現場の人間はそれらのことを経験的に認識し、それを踏まえた上で彼ら自身の仕事を成している。その仕事には専門知識・技術と考察が必ず光っている。

ところで、わたしはしばしば患者と衝突する。衝突しないとわからないことが多い。何故衝突するのかを考えることで、患者の問題点が浮き彫りになるように感じる。わたしの未熟さ(の一部)は、感じたそれに対して講じる策を提案するに知識と経験が不足していることにある。自分の無力さを味わわされ悩むと同時に、何を学ぶ・知るべきかを気づくことができ、踏ん張れる。(そんなわたしの自己実現欲求に付き合わされる患者はいい迷惑かもしれない。)「あんたはいつも一言余計だな」という言葉は、受け入れの第一歩なのだと捉えることは許されるか。

自分のための自己批判と自己正当化、一種の自慰行為。

「別にあんたのためにやってんじゃない、自分のためにやってんだよバカヤロウ…!」

数ヶ月後に課される必須の課題にはおそらくこのようなことをボンヤリ書けば、ギリギリ及第点くらいはもらえるか。自己の分析なぞ、とうに。遅れて生きている分くらいは。